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株式会社 サン・ガーデン - 土谷 美紀

その「美しい」は、私が育てました ~ 花苗生産者

株式会社 サン・ガーデン

恵庭の苗は強く、たくましい。春先の低温に鍛えられているから。

農家が食べられないものを作って、どうする?

株式会社 サン・ガーデン

 「父の哲夫は、農家の3代目。花を生産しようとしたとき、両親に猛反対されたそうです」と美紀さん。当時、5町歩の土地で、養豚、畑作、稲作、なんでもやらなければ農家は生きていけなかった。結婚したばかりの哲夫さんは、冬に出稼ぎをしなくても生活できる道を模索していた。

 そんなある日、母校の恵庭北高校に、おもしろいガラスの温室ができたと聞き、同級生と一緒に見に行った。恩師曰く、「これからはサバの缶詰に花の苗を入れる時代が来る」。最初は「まさか」と思ったが、恵庭人の開拓魂に火が点いた。周囲は「食べられないものを作って、どうする?」と呆れたが、25、26歳の青年たちは、新しいことに挑戦する意欲に燃えていた。

 まず、シクラメンの種を蒔いた。花が咲くまで1年2ヶ月ほど。農作業をこなしながら苦労して育てても、今度は売り先がない。札幌の市場では、名人が栽培した鉢物しか相手にされない。2人で行商しながら「生産者も責任を持って売ることを考えなきゃダメだ」と痛感した。そのときの同級生が、後に市内で石田花園を経営する石田貢さんだ。

 恵庭市の花苗生産地としての歴史は、こうして始まった。

恵庭では冬の農閑期に花を栽培する

株式会社 サン・ガーデン

 哲夫さんは3年目から、パンジー、マリーゴールド、サルビア、ベコニア、ペチュニアなど、冬に育てて春に出荷できる花壇苗を作り始めた。成功の鍵は、農業資材の変化にあった。苗を育てるハウスは、ガラスからビニールへ。素焼きの鉢はプラスチックやビニールポットへ。軽くてコストのかからない資材が出てきたことで、多品種大量生産が可能になった。

 札幌市が政令指定都市になると、公園や緑地の整備が進み、花苗の需要も増えた。道内各地でも、まちの活性化に花を利用する機運が高まった。現在、花苗のハウスは60~70棟。1年草は300品種、宿根草は把握できないほどの品種を生産するため、ピーク時の3~5月は70人の働き手が右往左往する。

 恵庭の花苗は丈夫でしっかりしていると評判だ。冬も晴天に恵まれ、春先の低温に鍛えられるからだ。北海道では4月になっても雪が降ることがあり、暖かい地域で育った苗は、その寒さに弱い。

 いま、隣国の中国では花の需要が高まり、日本の花関係者が中国で仕事をしているという。「中国産の苗が輸入されてきたら、太刀打ちできないかもしれません。そんな中でも、品種や品質にこだわった苗作りや、庭作りの専門性を磨いていきたいですね」と美紀さん。常に先を読む、経営者の一面を見せた。

植物の生命力、その柔軟性にもっと見習いたい

株式会社 サン・ガーデン

 「花はファッションと同じ。ブームもありますが、やはり昔ながらの定番が生き残る。芍薬なんかも、新しい印象に見せるのが好き」という美紀さんに、どんな作業がいちばん楽しいかを聞くと、即座に「現場で植物を植えているとき」と返ってきた。担当は造園。事務所で息が詰まると、意味もなくハウス内を歩き回る。仕事で迷ったときは「父ならどう判断するか」を考えて決めると、気持ちが納得するらしい。「毎日植物を扱っていると、その生命力から教わることが多い」という。美紀さんの持論はこうだ。どんな条件でも、植物はどうやって生きていこうかと考えている。新しい庭に移れば、生きるために進化する。その柔軟性に人間はもっと見習うべきだと思う。

 「植物は、どれだけ早く土の中に根を張るか必死。もう、ダメだと思ったら、花をたくさん咲かせて、子孫を残すために種を落とすの。そんな植物みたいに、たくましい子どもたちが増えてくれるといいなぁ」と心から願う。美紀さん自身、そう気づける環境の中で育ったことに感謝している。

プロフィール

株式会社 サン・ガーデン 土谷 美紀

Miki Tsuchiya
住所:
北海道恵庭市西島松561-4
電話番号:
0123-36-8050

花苗・野菜苗生産卸、造園緑花工事、園芸売店・ガーデンカフェを経営する(株)サン・ガーデン。
1964(昭和39)年から恵庭で花苗生産を始めた先駆者の父、藤井哲夫氏から家業を継ぐ。

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